夫の「疲れた顔」の正体——マルクスが150年前に言い当てていたこと

疲れた様子で帰宅した男性を、玄関で温かく迎える女性

夕方、帰ってきた夫の顔が疲れている。

「今日も大変だったんだろうな」とは思う。でも何が大変なのか、うまく想像できない。本人も「別に」とか「普通」とか言うだけで、あまり話してくれない。

その疲れの正体を、150年前の哲学者が言い当てていました。

マルクスが見つけた「見えない疲労」

カール・マルクス(1818〜1883年)といえば共産主義の思想家として知られていますが、今日はそちらの話はしません。

マルクスが若いころに書いた「疎外」という概念の話をしたいと思います。これが、現代の働く人の疲れをそのまま説明しているんです。

マルクスはこう言いました。人間はもともと、自分の手で何かを作り、それを誰かに届けることに喜びを感じる生き物だ。農家が種をまいて、育てて、収穫する。職人が素材を選んで、手を動かして、作品を仕上げる。その全体のプロセスが「自分のもの」だから、誇りと充実感が生まれる。

ところが現代の労働は、そのプロセスが細切れになっています。

書類を処理する。メールを返す。会議に出る。その仕事が最終的に何につながっているのか、誰の役に立っているのかがとても見えにくい。自分の仕事が「自分のもの」という感覚が持ちにくい。

マルクスはこの状態を「疎外」と呼びました。自分の労働から、自分が切り離されてしまっている感覚です。

「何のために働いているかわからない」の正体

「仕事は嫌いじゃないけど、なんとなく虚しい」

「頑張っているのに、報われている気がしない」

「毎日同じことの繰り返しで、自分が消耗品みたいだ」

こういう感覚は、意志が弱いからでも甘えているからでもありません。マルクスが言った「疎外」が起きているサインかもしれない。

自分の労働が自分のものになっていない。誰かのためになっているという実感が持てない。だから疲れる。お金はもらえても、心が満たされない。

はやま

夫が帰ってきて疲れた顔をしているとき、「体が疲れた」だけじゃないかもしれない。「自分が何のために働いているかわからなくなっている」という疲れが混ざっていることがある。そう思うと、「お疲れさま」の一言がちょっと違う重さになりませんか。

育児にはない「疎外」

おもしろいことに、育児には「疎外」が起きにくい。

子どもに離乳食を作って、食べさせて、笑顔を見る。抱っこして、寝かしつけて、寝顔を見る。プロセスの全体が目の前にある。誰かの役に立っているという実感が、直接やってくる。

だから育児は大変でも、職場の疲れとは質が違う。

マルクスが言った「自分の手で作り、届ける喜び」、それが育児にはある。現代の多くの職場では、それが見えにくくなっている。

小さな「つながり」を取り戻す

マルクスの話は「だから資本主義はダメだ」という方向には進みません(笑)。今日の話の着地はもっとシンプルです。

自分の仕事が誰かのためになっている、という実感を小さくても持てるかどうか。

同僚に「ありがとう」と言われた。お客さんが喜んでいた。自分が作ったものが誰かの手に届いた。そういう小さなつながりが、疎外の解毒剤になる。

帰ってきた夫に「今日どんないいことあった?」と聞いてみること。それだけで何かが少し変わるかもしれません。

はやま

料理だって同じ。作って、食べてもらって、「おいしい」と言ってもらう。このシンプルな循環の中に、マルクスが言った「疎外されない労働」の喜びがある。毎日の食卓が大事だと思うのは、そういう意味もあります。

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