ウルトラマンはなぜ強いのか。専守防衛のヒーローが教えてくれること

テレビを見る親子

「昔パパが見てたんだよ」と言いながら、娘と古いウルトラマンの映像を見たことがあります。

彼女の反応は薄かった。ミニチュアの街がぐらぐら揺れて、着ぐるみが取っ組み合っている。特撮技術に慣れた目には、たしかに地味です。

でもわたしは画面を見ながら、子どものころには気づかなかったことをいくつか考えていました。

ウルトラマンは、自分からは戦わない

あらためて見ると、ウルトラマンというのは不思議なヒーローです。

彼は、自分からは戦いに行きません。怪獣が現れ、街が破壊され、人々が傷つく——。そこで初めて、変身します。徹頭徹尾、巻き込まれる側です。

ウルトラマンに限りません。『月光仮面』から仮面ライダー、戦隊ものにいたるまで、日本のSF特撮ヒーローたちは一様に、外からやってくる脅威に対して戦います。自分から出かけていって、先制攻撃を仕掛けるヒーローは、日本にはほとんどいない。

かたや、アメリカの国民的SFシリーズ『スタートレック』の主人公たちは、用もないのに宇宙船で出かけていき、ほかの星の問題にどんどん介入していきます。勇敢で、積極的で、いかにもアメリカ的です。

はやま

どちらが正しいとか、優れているとかいう話ではありません。ただ、自分が子どものころ夢中になったヒーローの姿に、どんな価値観が刻まれていたのか、ふと気になった。

「やられるまで、やり返さない」という倫理

専守防衛、という言葉があります。攻撃を受けるまでは武力を行使しない、という考え方です。戦後日本の安全保障の基本原則でもありますが、ウルトラマンたちはまさにこれを体現しています。

子どもの目には、それは当たり前のことに映ります。ヒーローは、困っている人を助けるために戦う。それだけのことです。でも大人になってから見ると、この「当たり前」の裏に、静かな意志のようなものを感じます。

やられるまで手を出さない。それは弱さではなく、一種の矜持です。

子どもにこういうことを直接説明しても、たぶん伝わりません。でも、画面の中で何度も何度も繰り返されるその姿は、言葉より先に、何かを刻んでいくのかもしれない。

怪獣は、いつも外からやってくる

もうひとつ気づいたことがあります。

ウルトラマンに出てくる怪獣や宇宙人は、ほとんどが外からやってきます。宇宙から、海から、地底から。人間の側に非があって戦いが起きることは、ほぼありません。

でも現実の「脅威」は、いつも外からくるわけじゃない。家族のなかにも、学校のなかにも、自分自身のなかにも、小さな怪獣は棲んでいます。

そういう「内側の怪獣」とどう向き合うか、ウルトラマンは教えてくれません。それはこの物語の限界でもあり、子どもが成長とともに自分で学んでいくことでもあります。

はやま

娘に「どうだった?」と聞いたら、「ふーん」と言っていました(笑)。まあそうですよね。それでもいつか、ウルトラマンが「なぜ自分から戦わなかったのか」を考える日が来たら、少し話してみたいと思います。

ヒーローを見て育つということ

どんなヒーローを見て育つかは、子どもの価値観に、きっと何らかの影響を与えます。意識的にというより、繰り返しの積み重ねとして。

強くて、でも自分からは仕掛けない。頼まれなくても助けに来るけど、終わったら静かに去っていく。ウルトラマンのそういう姿が、戦後の日本でどれほどの子どもたちに見られてきたかを思うと、少し感慨深いものがあります。

古くさい映像の中に、案外大切なことが詰まっているかもしれない。そんなことを、娘の「ふーん」という顔を見ながら、ひとりで考えていたその夜のことをいまでも覚えています。

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