元旦の朝、妻と娘を実家に残して、ひとりで山に出かけました。
「どこ行くの?」と娘に聞かれたので、「山」と答えたら、「ふうん」と言われました。関心ゼロ。それでいい。それがいい。
向かった先は神戸・須磨アルプス。標高300メートルに満たない低山ですが、「アルプス」という名前を堂々と冠しています。あなどれません。
ここで最初に白状しておかなければならないことがあります。
わたし、高所恐怖症なのです。

この記事の内容
尾崎豊のおかげで、一時期は平気だった
……と言うと、「それで山登りが趣味なの?」とかならず突っ込まれます。ごもっとも。自分でも不思議です。
ずっと怖かったわけではありません。10代のころは生来の高所恐怖症で絶叫マシンなんて論外でした。ところが20代前半、なぜか平気になった時期がありまして。
原因は、尾崎豊です(断言)。
「一回こっきりの人生だ、全力で生きろ」という世界観にどっぷりはまりまして、刹那主義的な生き方に目覚めました。要するに調子に乗っていた、ということです。その勢いのまま絶叫マシンにも乗れるようになり、高い場所もなんのそのという時期が数年続きました。
はやま
その後、ひょんなことから救急車で運ばれたことがありました。後から知ったのですが、搬送先の病院が、尾崎豊が最期に運ばれたのと同じ病院でした。
彼は26歳で亡くなり、わたしは生き延びました。何か意味があるような気がして、しばらく頭から離れませんでした。
話を戻しますと、結婚してしばらく経ったころ、気づいたらすっかり元に戻っていました。絶叫マシン、無理。高い場所、無理。「本来の自分」が静かに戻ってきたのです。尾崎豊の魔法は、家庭という現実の前にあえなく解けました。

馬の背、1歩で撤退
須磨アルプスの名所「馬の背」は、両側が切れ落ちた細い岩尾根です。左に街、右に海。足の置き場が狭く、横風もある。
遠くから見たとき、すでに全身が警戒し始めました。
近くに寄ったら、もっと警戒しました。
「いや、でも実際に立ってみれば案外なんでもないかもしれない」——そう自分に言い聞かせ、おそるおそる1歩、足を踏み出しました。
硬直しました、全身。ついで娘の顔が頭に浮かびました。その顔がぐにゃりとゆがむ。
きびすを返して、帰りました。
はやま
高所恐怖症というのは、どうも鍛えればなんとかなるものではないようです。少なくともわたしの場合は。20代の刹那主義でも上書きできなかった本能が、50を前にして今さら変わるはずもない。それを確認した元旦でした。

それでよかった
馬の背を渡れなかった事実は変わりませんが、この山行をまったく後悔していません。むしろ逆です。
瀬戸内海を見下ろし、青春時代の思い出が詰まった街並みを20年ぶりに高い場所から眺めながら、ひとりで黙々と歩く時間は、何かを「整えて」くれました。頭の中のざわざわが、少しずつ静かになっていく感覚。年末のバタバタが、冬の大気のなかに静かに溶けていく感覚。
山が好きな理由を人に説明するのはむずかしい。でもたぶんこういうことなんだろうと思います。
わたしたちは日常のなかで、いつも「役割としての自分」を生きています。父親として、夫として、仕事上の誰それとして。それは大切なことで、悪いことでもない。でもそれとは別に、もっと奥のほうに——赤ちゃんのころからずっとそこにいる、役割とは関係のない「素の自分」がいる。
その自分を、たまにはいたわってやらないといけない。対話してやらないといけない。
山を歩くとき、わたしはその自分と話しています。たぶん。意識してやっているわけじゃないけれど、気づいたらそうなっている。
山じゃなくてもいい
わたしにとってたまたま「山」がそういう場所だっただけで、それは何だっていいと思います。走ることでも、料理でも、楽器でも、釣りでも。
ひとつだけ条件があるとすれば、「うまくやろうとしなくていい場所」であること。馬の背を渡れなくたっていい。タイムが縮まらなくたっていい。うまく弾けなくたっていい。ただそこにいる、それだけが目的の時間。
そういう時間が、「整える」ということの本質じゃないかなと、元旦の须磨の山道を歩きながら思いました。
きょうも無事に帰ることができてよかった、よかった。
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