虫取り網が教えてくれること。センス・オブ・ワンダーと、子どもと過ごす夏の話

虫取り中の女の子

夏になると、思い出します。

田んぼの畦道を、網を振り回しながら走っていた、あのころの自分を。捕まえたトンボの羽の透明さに見入ったり、田んぼの泥の中からどろんとした生きものをすくいあげて仰天したり。毎日が発見の連続でした。

最近の子どもたちを見ていると、夏休みに虫取り網を持って野原を駆け回る姿をあまり見かけなくなった。

もったいない。

はやま

田んぼだらけの場所で育ったので、夏は毎日のように虫を追いかけていました。小川で魚をすくい、ため池でザリガニを釣り、用水路に足をつっこんで………。いま思えば、あれが僕の「自然教室」でしたね。

センス・オブ・ワンダーって、なんだろう

レイチェル・カーソンをご存じですか。アメリカの海洋生物学者です。農薬による自然破壊を告発した彼女のノンフィクション『沈黙の春』は、環境問題を世界に知らしめた一冊として、半世紀以上たったいまでも世界中で読み継がれています。

そのカーソンが晩年に書き残した小さな本があります。タイトルは『センス・オブ・ワンダー』。

センス・オブ・ワンダーとは、自然の不思議や神秘に気づいて驚く感性のことです。難しい言葉ではありません。「わ、すごい」「なんだろう、これ」「きれいだな」——そういう、子どもがごく自然にもっている、あの感覚のこと。

カーソンはいいました。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。

知識を詰め込むことより、驚いて感動することのほうがずっと大切だ。センス・オブ・ワンダーを子ども時代に育んでおくと、大人になってから直面するさまざまな困難や幻滅に対し、一生消えない「心の支え」になると。

はやま

家に原書と翻訳版があったはずと思って書棚を探したんですが、見当たらず……。カーソンのこの言葉、初めて読んだときからずっと頭に残っています。「知る」より「感じる」。ブルース・リーみたいですが、食や健康の話にも通じる話だと思います。栄養の知識より、おいしいと感じる喜びのほうが、体にはずっといい。

「知る」より「感じる」が先

雨の翌朝の土と草の匂い。夕暮れどきに遠くから聞こえてくるヒグラシの声。草むらの中でふいに光るホタルの明滅——。

こういう「小さな奇跡」に気づける子は、世界が豊かに見えます。同じ夏休みを過ごしても、時間の密度がまるで違う。

その感性は、図鑑を読んで身につくものではありません。実際に外に出て、泥まみれになって、虫に逃げられてため息をついて——そういう体験の積み重ねのなかでしか育たないものです。

はやま

娘が小さいころ、よく山や海に連れて行きました。すると、僕が気づかないようなものを娘が見つけるのです。「パパ、この虫なに?」って。二人で首をかしげて、帰ってから図鑑で調べる。あの時間、いま思うとすごく貴重でした。

小さな命が教えてくれたこと

白状すると、子どものころのわたしは生きものの命に対して無頓着でした。

セミやトンボの羽を1枚ずつむしって何枚までなら飛べるか調べてみたり、カエルでキャッチボールしたり、アリをルーペで焼いてみたり——。とても褒められたものではありませんが、男の子にはそういう残酷なところがあります。

ところがある時期を境にピタリとやらなくなった。

自然のなかにいるうち、小さな生きものでも「懸命に生きている」「こころがある」と感じるようになったからだと思います。

殻から抜け出した直後、透き通るやわらかな羽根に体液を送り込んで震えながらゆっくり羽根を伸ばしていくセミやトンボ。夕立が降ると、たった数ミリの小さな虫たちが、飛ばされまいと必死になって葉っぱの裏や細い枝にしがみついている。自分の何倍も大きい獲物を抱え、何度もつまずきながら巣へ向かうアリの懸命な姿——。

トカゲが子どもを連れて歩いているのを見て「えっ、子育てしてる!?」と驚いたこともあります。

こんな思い出も。

山奥に暮らす祖父が前の川で100匹以上のホタルを捕まえてきてくれて、うちの庭に放ってくれた。それが夜になるといっせいに光りだして、植木や花壇の上を舞い踊る。思わず息をのむ光景でした。

ところが翌朝見ると、みんなひっくり返って死んでいました。水場がない。日差しから身を隠す場所もない。当然ですね。「でも交尾してたし来年はうちでもホタルが見られるね」。そう聞くと、父は首を振って答えました。「みんな子どもを残すために生まれてきたのにな。かわいそうに」。

生きものの世界にも、人と同じ営みがある——そのことに気づかせてくれたのは、教室でも図鑑でもなく、野原と川と虫取り網でした。

はやま

もちろん自然が相手だと怖い思いをすることもある。スズメバチに追いかけまわされたり、ヘビにじっと睨まれたり、川の流れに体をもっていかれたり。幼なじみがカラスに悪さをしたら、夕方にカラスが仲間を率いて戻ってきて、その子の頭上を鋭い声で鳴きながらいつまでも回り続けていたことがありました。あの光景は忘れられない。

そんな日々が、自然に対する畏怖と敬愛の念を育てていきました。どこかにも書きましたが、山へ行くといつも、わたしたち人間よりずっと大きなものの存在を感じます。包まれるような不思議な安堵感がある。わたしのセンス・オブ・ワンダーはいま、そういうことを感じる場所になっています。

テントウムシと、ある秋の晩餐

少し話が横道にそれますが、この話も聞いてください。

娘が小学生だった秋のこと。家の中に弱ったテントウムシが迷い込んできました。小皿に蜂蜜を垂らして置いてやりました。「最後の晩餐だね」なんていいながら。

ものすごい勢いで食べていました。二人でそれを見て「おいしいんだろうね」と微笑ましい気持ちになって。そのままにしておいたら、いつの間にかいなくなっていた。

春になって同じ柄のテントウムシが家の壁を歩いているのを娘が見つけて、大騒ぎです。「生きてた!」と。春だから外のほうがいいだろうと逃がしてあげたのですが、秋になるとまた家の中にいる。それが数年続きました。

「蜂蜜のお礼をいいにきたのかもよ」といったら、娘は真剣な顔でうなずいていました。

はやま

別の個体が洗濯物にくっついて入ってきただけかもしれません(笑)。それでもいい。そう思えるこころの余白が大切だと思います。

親御さんへ——一緒に驚くだけでいい

カーソンはこういっています。センス・オブ・ワンダーを育てるには、ただそれを分かち合える大人の存在があればいい、と。

難しく考えなくていい。子どもの隣で「わ、すごいね」「見てみて」といっしょに驚くだけでいい。なにかを教えようとしなくていい。知識がなくてもいい。むしろ「これ、なんだろうね?」と一緒に首をかしげるほうがいい。

ずっと都会で暮らしてきて、自然にあまり縁がなかったという方、いまからでも十分に間に合います。雨上がりの森のにおい、葉っぱからしたたる雨粒、濡れた苔の美しさ——そういうものに気づく感性は、何歳からでも開くことができます。

その感性が、やがて自然への敬意の種になる。そうわたしは信じています。

はやま

木曽駒ヶ岳に娘と登ったとき、嵐の朝に一羽の小鳥が現れて、わたしたちの道案内をしてくれました。イワヒバリという鳥です。あの体験はいまも二人の心にしっかり刻まれています。→その話はこちらに書きました

まず、虫取り網と虫かごを用意しよう

さあ、理屈はこのへんにして。実際に外に出てみましょう。

昆虫採集に最低限必要なのは、この二つだけです。

  • 虫取り網——伸縮式か2段式が便利。幼児なら100均のもので十分です。大人が持てる伸縮タイプなら、高い木の枝にいるセミにも届きます。
  • 虫かご——軽くて丈夫なもの。メッシュ素材だと通気性がよく、観察もしやすいです。

あとは、虫除けスプレーと虫刺されの薬、念のための雨具があれば万全です。帽子と長袖も忘れずに。

スマホがあれば図鑑はいりません。「捕まえた虫の名前を調べる」だけで、立派な自由研究の入り口になります。

はやま

道具にお金をかけすぎなくて大丈夫。大事なのは、行くこと。行ってみること。

「どこへ行けばいいか」「どんな虫に会えるか」は、続きの記事で詳しく紹介しています。

→ 都会からでも行ける! 親子昆虫採集ガイド【場所・時期・虫の種類】

虫取り網を一本持って、子どもと一緒に外に出てみてください。きっと、何かに出会えます。


参考:レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社)

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