むかし、母に繰り返し言われた言葉がある。
「いい大学に入って一流企業に勤めなさい。そうすればお金に苦労しないですむ」
愛情から出た言葉だったと思う。子どものころは疑わなかった。ほかの大人たちもみな同じことを口にしていたからだ。でも高校に入ったあたりから違和感を感じるようになった。
お金に苦労しないことが、そんなに大事なのか。その先に何があるのか。それで幸せになれるのか。そもそも、その価値観はどこから来たのか——。
結局ぼくは別の道に進んだ。いまになって思う。あの違和感は正しかった、と。
プラトンは2400年前に、まったく同じことを言っていた。
この記事の内容
洞窟の中の囚人たち
プラトンが書いた「洞窟の比喩」という話がある。
生まれたときから洞窟の中で鎖につながれた囚人たちがいる。彼らは壁だけを向いて座っていて、後ろを振り返ることができない。背後では火が燃えていて、その前をさまざまなものが通り過ぎる。壁にはその影が映る。
囚人たちにとって、その影が「現実」のすべてだ。影に名前をつけ、影について語り合い、影を正しく予測できる者が「賢い」とされる。
そんなある日、一人の囚人が鎖を外れる。振り返ると火がある。眩しくて目が痛い。さらに歩いて洞窟の出口へ向かうと、太陽の光が降りそそぐ本物の世界がある。
最初は何も見えない。でもやがて目が慣れてくる。草が見える。空が見える。影ではなく、本物の世界が広がっている。
はやま
サングラスの話
カントという哲学者は、人間はみんな「認識の枠組み」を通して世界を見ている、と言った。いわば、生まれたときから色眼鏡をかけている状態だ。
色眼鏡をかけていること自体は、どうしようもない。人間はそういうふうにできている。
問題は、それがどこから来たものか、だ。
自分で選び、時間をかけて磨きあげたものか。それとも気がついたら周囲の空気の中に溶け込んでいて、いつの間にかかけさせられていたものか。
メディアに長年関わってきた経験から言うと、「当たり前」というものは、思った以上に作られている。悪意がなくても、情報は切り取られ、特定の方向へと流れていく。気がつかないうちに、ぼくらの「普通」が形作られていく。
そういうものだ、と知っておくことは大切だと思う。
はやま
洞窟から出た人間の責任
プラトンの話には続きがある。
洞窟の外に出た囚人は、また洞窟に戻らなければならないとプラトンは言う。戻って、まだ鎖につながれた人々に外の世界のことを伝えなければならないと。
でも戻った囚人は、暗さに目が慣れず、うまく動けない。洞窟の中の人々からは「外に出たら頭がおかしくなった」と笑われる。それでも伝え続けなければならない。
ここまで読んで、プラトンの指図は受けない、と思った(笑)。でも、このブログを書いているということは、もしかしたらそれに近いことをしているのかもしれない。
食のこと。体のこと。哲学のこと。ヨガのこと。遠回りして、病気して、山に登って、ようやく見えてきたもの。それを言葉にして残しておくことに意味があるとしたら、きっとそれは洞窟の外の景色を伝えることだろう。
いま思えば、あの違和感は洞窟の出口だったのだ。
はやま
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