娘のランドセルを買いにいった日のことを、今でもときどき思い出す。
それほど特別な一日だったわけではない。特別なことは何もなかった。ただ、あの日のことを思うと、それから6年間つづいたある朝の光景がいつもセットで浮かんでくる。
出遅れた秋
ランドセルを買わなきゃな、と重い腰を上げたのは、木の葉が赤や黄色に色づく季節でした。
ところが、ランドセル商戦というのは4月から始まるものらしい。完全に出遅れていたとすぐに気づきました。
保育園に娘を迎えに行ったとき、そこにいたお母さんたちに声をかけてみると、みなさん口をそろえて「もう予約済みですよ」とおっしゃる。
はやま
こんな川柳が脳裏をよぎりました。
さあやるか 昼からやるか もう五時か
刺繍入りが欲しかった娘
週末、娘を連れてランドセル売り場に行きました。
ところが、娘はなかなか「これ」と決めない。紫の刺繍入りのランドセルに目が止まって、しばらく離れなかったのですが、僕はそっと別のコーナーへ誘導しました。
はやま
結局その日は決まらず、後日、専門店に足を運びました。そこで娘が選んだのは、赤のとてもミニマルなランドセル。余計な装飾のない、シンプルで端正な一品でした。
僕がいちばん気にしていたのは、丈夫かどうか、でした。本革だったので決して軽くはありませんでしたが、6年間使い切れるものをと思っていたので、それでよかったと思っています。
親が選ぶのは、鞄じゃない
ランドセルを選ぶとき、親が本当に向き合っているのは何だろう、と今なら思います。
丈夫さとか、素材とか、そういうことをあれこれ調べながら、実は「この子がひとりで歩いていく世界」をそっと想像しているんじゃないか。
保育園の送り迎えをしていた間、子どもの世界は親の目の届く範囲にありました。でも小学校に入ったら、子どもはひとりで歩いて学校へ行く。知らない友達ができて、知らない先生に叱られて、親の知らない顔をどんどん増やしていく。
ランドセルは、その「旅立ち」の象徴なのかもしれません。だから親の胸が、少し締め付けられる。
6年間、ベランダから
入学式の日、初めてランドセルを背負った娘と一緒に登校しました。赤いランドセルは、娘の背中でやけに大きく見えました。
翌日から、娘はひとりで学校に行くようになりました。
はやま
毎朝それだけのことが起きていたのに、当時はそれが当たり前だと思っていました。でも今思えば、あの時間はとても贅沢なものだったと気づきます。
子どもが「振り返ってくれる」のは、ある時期だけのことです。いつかきっと、颯爽と行ってしまう。それが正しい成長の姿なのだとわかっていて、振り返ってくれなくなる朝が来ることを、親はどこかで知っています。
ランドセルは、まだある
娘のランドセルは今も、クローゼットの中にあります。
「ランドセルリメイク」というものの存在をいつか知りました。解体して、小さな財布や名刺入れに作り直してくれるサービスです。いつかやってみたいと思いながら、まだそのままです。
はやま
ランドセルを選んだあの秋の夕方から、もう何年も経ちました。
コウモリがひらひら飛ぶ夕暮れを見るたびに、出遅れた父親の情けない焦りと、それでもなんとか間に合ったあの日のことを、ちょっと懐かしく思い出します。
ランドセルを選ぶのは、意外と感傷的な作業です。どうか、楽しんで選んでください。
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